よっ、憎いね写真
 むかしむかし、といってもそんなに昔でもないけれど、ある友人が撮った写真に文章を書くという作業を何回か繰り返して行ったことがある。
ときに、小説であったり、ときに散文であったりしたのだが、そこで分かったことがある。

1、写真はダイレクトである
2、言葉は健気である

ということ。

 やたらと写真の現像は早くて、私の書く文章はなかなか追い付かなかった。そんなとき、いつも写真が前にあって、そこからイメージをふくらました。言葉が先にくることは一度もなかった。それが少し残念だった。
そして、言葉よりも写真を見て感想を述べる人が多かった。言葉は無力なのか、と少し卑屈になりそうだった。

 写真を見て言葉を考えるとき、その写真の前後を見ようとした。瞬間というものが時間の不連続であるならば、その前後には確かに時間が存在していたということ。だから、その時間を読み取ることが、言葉の存在だと思った。それはある意味成功だった。写真が三次元になるということは言葉の存在を意味していた。

 そして今、言葉の力を信じて何かを書いていても、写真が欲しくなる。言葉が弱いからではなく、言葉では表現できない瞬間はやはり写真で表現すべきだと考えるから。

 今後、写真を検討しよう。そしたらアクセス増えるかな?
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by susinger | 2004-12-28 23:03 | 徒然