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芥川賞の芥川さん!?
今年10冊目。。。

なぜか、芥川龍之介の「羅生門・鼻」。

今までニヒリストの王様として君臨していたのを知っていたにも関わらず、実は読んだことが無かった芥川文学。意外とこの「羅生門」が出世作では無かったのですね。
「鼻」のほうが先に、夏目漱石に認められた、とか。

歴史小説は苦手なのですが、「羅生門」は素直に読めまして、それは、あまりにも有名なせいかもしれませんが、それでもまあ、引き込まれるものはあった。

世間では、「最年少記録なるか、芥川賞!!」とかなんとか、色々と騒がしいですが、その実、芥川龍之介についてはあまり語られていないような気がします。受賞したみなさんは、当然読んでいることでしょうが。。。
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by susinger | 2005-02-24 22:49 | 小説
みそ汁が飲みたくなくなる小説
今年9冊目。。。

村上龍 「イン ザ・ミソスープ」

小説が現実を凌駕するなどという幻想は持っていないし、小説は何かを予言することもしない

と、氏はあとがきで述べるけれど、それがあまりにも空虚な感じがするのは、現実が起こってしまうからなのでしょう。しかし、小説は小説であって、やはり現実を凌駕することは本当に無い。絶対無い。だからこそ、この小説は小説として存在するべきなんだ、という強い確信に満ちる。

 無差別殺戮もバラバラ事件もあってはならないことだ、ということはほとんど大多数の人が理解することができるのだが、だからといってフランクの長い長い生い立ち話を否定することができる人は、そう多くはないはず。もちろん肯定もしないけど。
ただ、小説だから、という触れるべきではない前提があるとして、それが何かしらの象徴になるのだとしたら、この小説はあまりにも楽しめない。面白くないという意味ではなく、メッセージとして汲み取ろうとすればするほど、先が読めなくなる。

 事実は小説より奇なり、なあんて言葉は、この小説があるかぎりちゃんちゃらおかしい絵空事に思える。
小説は小説。現実は現実。
そう、ありたいと願う。
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by susinger | 2005-02-21 22:14 | 小説
笑いが止んだら、俺にそう言ってくれ。
今年8冊目。。。
町田康「屈辱ポンチ」

もういいだろ、もういいだろ、という展開。
独特の語り口調文体、なんていわれているけれど、慣れてしまえば、あまり気にならないし、かえって心地よい。病付(やみつき)。

表題の作は、分かりやすく読みやすいものでしたが、「けがれもの、俺らの猿と」は、最後には何だか哀しさが込み上げてくるから不思議だ。乾いたディストーションのギターのような感じ(分かりにくいかなあ)。

喫茶店にどんどん客が入ってくる展開、舞台を見ているようでやめられません。
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by susinger | 2005-02-19 00:04 | 小説
揺れました
今年7冊目。。。

「どすこい(京極夏彦)」

地響きがする、と思って頂きたい。

思うことにしましょう。
すべてはその一言ではじまり、そして肉で終わります。全て。
いいわけがましいほどのパロディ性の訴えは、京極堂シリーズで語られる論理の統一性に繋がるのかもしれません。が、肉ですから。力士ですから。脂ですから。

たまにはこういうのもいいや、と思えなければ、読み通すことは無意味になります。
ほんと、無意味でいい小説だなあ。さいこう。
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by susinger | 2005-02-12 23:05 | 小説
風の歌を聴くのです
とりあえず久しぶりに書きます。

今年の6冊目は「風の歌を聴け(村上春樹)」。

ずっと前に読んで、とりあえずということで、また読みました(3回目)。
あまりにも有名な氏のデビュー作ですが、神宮球場の外野席でヤクルトの試合を見ていて、突然、「小説を書こう」と思い立って書いたとは到底思えない作品ではあります。
映画のようなシーンの連続ですが、映画は本当に面白くありません。小説を読んでいたら、「ああああ」という、別の楽しみもありますが、それでも、映画は面白くありませんし、まあ、はっきり言って、映画向きではないのかも?

今回は映画を見ての感想ではありませんので別にいいですけど、短編としてはヒトナツの話ということで、浸るには十分。できれば、こんな寒い毎日ではなく、夏に読み返せば良かった、と後悔しております。

「ねえ、女って一体何を食って生きてるんだと思う?」
「靴の底。」
「まさか。」と鼠が言った。

あまりにもクールでシニカルな会話は、アメリカ文学そのものですが、それは氏がそういったものを読みあさって成長した、ということなんだろうけど、まあ、それを抜きにしても、格好よすぎる会話は現実的ではありません。だからこそ、学生時代に氏の小説を読んだ人は、バーを探して、同じような会話を楽しもうと奮闘したのです。まあ、そのほとんどが失敗に終わるのですが。
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by susinger | 2005-02-12 23:00 | 小説
無意味な文章で
もう少しで、きりのいい、300Hitなんですけど、所詮、300です。でも、HP開設時には到底達成できなかった数字なので、ちょっと嬉しいのですが、今週には届きそうです。しかし、今月は2月の「にげる」にかまけているわけではないけど、記事が進みません(まあ、先日も少なかったけど)。これじゃあ、駄目だな。

で、ネタが無いから、それをネタにして書いて、記事稼ごうとするのも何だか違うような気がするし、といって、それを今書いていることには違和感を感じているのだが、そのへんは過渡的ということで許してほしい(って、誰に許しを請うのか)。

やはり、もともと日記にしようとは思わなかったからなのか、ついついネタを探してしまうのですが、普通に生活してて、そんなに面白いネタなんてあるはずもなく、だからといって、書くときの話が面白いネタかというと、そんなことはございませんし、ありえません。

最近は、読むことが面白くて、色々なブログを拝見しておりまして、はあ、なるほどなどと感心するのですが、でもそれが自分のブログに反映されるかというと、そんなことはなく、今日もそろそろ寝ようかなあ、などと排他的に考えるのです。

これはやはり冬のせいなのでしょう。寒いし。
私のi Tunesもパーティーシャッフルなのに、ちっともパーティーっぽくありません。中学時代に聴いた懐かしい曲や、泣ける曲が続いていて、ついつい手が止まってしまいます。さすがはMac!! 私の心情に合わせて、無理やりノリノリにはならないのですね。で、でも、2曲連続で斉藤由貴はないでしょう。さすがに、ちょっとブルーになりました(斉藤由貴の曲って、どうして明るい曲でもブルーに聞こえるのでしょうか? 知っている人がいたら教えて下さい)。

といわけで、どうでもいいことを書き過ぎたので、そろそろ寝ます。

でも、これこそ、無意味な文で、ブログタイトルに忠実な気がします。。。
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by susinger | 2005-02-06 22:29 | 徒然
建築家 P・ジョンソン死去に思ったらしい
昨日の朝日新聞朝刊に、フィリップ・ジョンソンについての隈研吾氏の書いた記事が載っていた。
彼は、コルビュジエやミースといった20世紀を代表する建築家とは、全く逆の手法で建築を作ったと。

つまり、前述の巨匠たちは、コンクリート、鉄、ガラスといった「物質」をいかに奇麗に組み上げるか、を追求した人たちであり、一方、ジョンソンは「映像」ありきで、その「映像」を物質へと翻訳していった、と。

で、それは「ディズニーランド」の手法と同じで、アメリカが世界を制した大きな要因である、と。

なあるほど、だと思います。
今でも、「物質」というものは非常に重要なファクターであり、その納まりというものが建築家の手腕の一つであったりして、宮脇檀のような真面目な住宅作家は、その納まりについて、いろいろと挑戦し、そして日本らしさというものも程よくできたような気がする。

一方で、モダニズムだとかポストモダンだとか、はたまたデコンだとかといった思潮のムーブメントはさっそうと時代を駆け抜け(というか、時代の後から付いてきたりして)、誰しもが、「装飾バブルだ!、次は壊すんだ!、いや、透明だ、建築を消せ!! 違う違う、スーパーフラットだ!!!」などと、あれこれしたのは事実であり(隈研吾氏のM2とかいい例のような気もする)、必死になって次の建築を模索したんだけれど、結局はそれを遠目でみて、

「いやはや、大変ですな」

と、ムーブメントの仕掛人の一人であるジョンソンが、普通の寝室で休んでいた、というのは、一本取られました、と言うより他無い。

具沢山のこってりラーメンもたまには良いが、最後にはあっさり醤油ラーメンが一番、というのが建築でも遊び(ディズニー)でも同じなんですなあ。
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by susinger | 2005-02-03 22:31 | 建築
PowerBook は永遠に
PowerBook あいかわらず、格好良い。

初めて出たときから、注目品だったけど、なかなか手が届かず。

やはり拡張性とかって思うから、PowerMacを使ってるけど

結局、ハードとメモリを財布と相談して増やしているだけか?

存在感だけはかなりあるんだけどな。
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by susinger | 2005-02-02 22:36 | 徒然